2014年2月20日木曜日

海老名市について

 関東大震災が発生したのは1923年9月1日午前11時58分のことであった。
 ちょうどお昼時に重なったこの大震災は我が海老名の地にも多くの被害をもたらした。海老名では55人の方が亡くなり、相模大橋が無残にも崩れ落ちた。
 昔の資料で地震による家屋倒壊率の円グラフを見てみると興味深いことがわかってくる。北は下今泉から南は門沢橋まで、相模川に沿った場所で甚大な被害が出ているのである。とくに中新田や中野では90%の家屋が潰れた。一方、相模川から離れた場所に位置する国分や杉久保などでは比較的被害が少なかったことがわかるのだ。
 当時ほとんどが同じ木造家屋であったにも関わらず、なぜこのような差が出たのであろうか。
 被害の大きかった相模川沿いは「低地」と呼ばれ、座高は14~20mくらいで周囲に比べて低く、現在は水田になっている。
 この「低地」よりも座高が高い場所――柏ヶ谷や座間駅から海老名駅にかけて小田急線が走っている地域など――を「台地」と呼ぶ。
 これの他に、上星小学校付近から海老名中学校東側の瓢塚を通って杉久保小学校に到る起伏に富む丘が連なる地域を「台地」と呼ぶ。
 かくの如く、海老名の大地というのは低地・台地・丘陵で成り立っているのである。
 前述の通り、海老名が1923年の関東大震災で大きな被害を受けた。そして、その大半が低地であったこともすでに書いた。低地の堆積物はれきの他にやわらかい砂や粘土であるため、地震の揺れに極度に弱いのである。
 水を含んだやわらかい砂で出来ているため、れいの「液状化現象」も起こりやすい。
 反して、台地や丘陵はいわゆる関東ローム層で出来ている。関東ローム層は火山灰が何万年もかけて降り積もり出来たものゆえ低地に比べて強度が引き締まっている。ゆえに、関東大震災でも被害が少なく済んだのである。
 現在の海老名の土地利用としては、丘陵や台地においては住宅地の開発が進み、どんどん埋め立てれたり削られたりしている。国分寺団地などが最たる例であろう。
 また、工業用水(機械の冷却水や洗浄のための水)使用のため、相模川の近くには多くの工場が建っている。
 工場は高速道路沿いにも多い。勿論、交通の便がよいためである。

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